ケシク
ケシク, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3599362 / CC BY SA 3.0 #モンゴル語 #モンゴル帝国の軍事 #軍事史 カーンの側近く仕えるケシク(『集史』) ケシク(モンゴル語: kešik/Хишигтэн,中国語: 怯薛)とはモンゴル帝国において君主(カーン)・皇族を昼夜護衛した親衛隊。 kešikの意味については諸説あり、「カーンからの恩寵」を意味するという説が一般的であるが、近年では“kešik”は「輪番[制]」を意味する単語であるとする説が唱えられている。 史料上では-tei(〜を有する者)を附して「ケシクテイ(kešiktei)」とも呼称される。 ケシクはカーンの親衛隊・軍の精鋭という軍事的側面の他、カーンの身の回りの世話を行う家政機関としての側面、将来の国政を担う幹部の養成機関としての側面も有しており、多様な目的を持つモンゴル帝国の重要機関であった。 そのため、ケシク制度は千人隊制度(ミンガン)と並ぶモンゴル帝国の根幹となる制度と評されている。 ケシクの語義については、「恩寵」の意とする説と、「輪番」の意とする説の大きく分けて2通りの説が存在する。 ケシク制度について初めて体系的な研究を行った箭内亘が「恩寵」説を主張したため、一般的には「恩寵」説が受け容れられているが、近年では宇野伸浩によって「恩寵」説の見直しが迫られている。 先述したように、日本に於けるモンゴル史研究の草分け的存在である箭内亘によって唱えられ、以後通説として定着したもの。 箭内は現代モンゴル語において「ケシク」が「恩恵・寵愛・親切」等を意味することに注目し、モンゴル帝国の親衛隊が「天子(カーン)より特別なる恩恵(ケシク)を与えられた」故にこの名称で知られるようになったとする。 この解釈の場合、「ケシク」そのものが親衛隊組織の名称とされ、「ケシクテイ(=恩寵を与えられたる者)」はケシクに所属する者の呼称となる。 「ケシク」を「輪番」の意と解釈する説。 現代モンゴル語において「ケシク」が「恩恵・寵愛」などのみならず「輪番・番直」の意も有することは既に箭内亘が指摘しているが、箭内はこの語義を寧ろモンゴル帝国時代の親衛隊制度から派生したものであると解釈し、以後箭内の見解が踏襲されてきた。 しかし近年、宇野伸浩は同時代のウイグル語文書において「ケシク」という語が「輪番」という意味で用いられていること、またマフムード・カーシュガリーのテュルク語辞典『テュルク語集成(ディーワーン・ルガート・アッ=トゥルク)』でも「ケシク」が「輪番」という意味の単語として記されていることを紹介し、ケシクの「輪番」という意味がモンゴル帝国以後に成立したとする箭内の説は成り立たないことを指摘した。 その上で、モンゴル帝国時代以前よりテュルク系諸族の間で「輪番(=ケシク)制」が存在したと考えられること、それを導入することでモンゴル帝国におけるケシク制度が成立したと考えられる、と述べている。 この解釈の場合、「ケシク」という単語はそのまま「輪番/番直」、あるいは輪番の「班」を意味し、これ自体では「親衛隊組織」そのものを指さない。 故に、宇野伸浩は「モンゴル帝国時代の親衛隊組織」を指す際には「当直を持つ人々/輪番を行う人々」を意味する「ケシクテン(kešigten)」という語を用いるべきである、と述べている。 遊牧国家における親衛隊制度(ケシク)の歴史は古く、遅くとも鮮卑-北魏の時代にまで遡る。 北魏の歴史を記した『魏書』には以下のような記述がある。 建国の二年に、初めて左右近侍の職を設置した。 常時の定員は決まっていないが、百名にのぼることもあり、禁中に侍り宿直し、宣や詔命を伝えた。 いずれも諸部族の大物、豪族・良家の子弟で、立ち居振る舞いと外見が端正で厳然たる者、機転が利き弁舌爽やか、才気煥発な者を選抜・採用した。 また内侍の長を四人配置し、顧問として、不足の点・過失を補わしめ、応答させた。 若今之侍中、散騎常侍 (建国二年、初置左右近侍之職、無常員、或至百数、侍直禁中、伝宣詔命。 皆取諸部大人及豪族良家子弟儀貌端厳、機辯才幹者応選。 又置内侍長四人、主顧問、拾遺応対、若今之侍中、散騎常侍也。 ) — 『魏書』巻113「官氏志」 ここで記される「諸部族の大物、豪族・良家の子弟」から才覚ある者を選ぶという点、四人の長官を置くという点はモンゴル帝国時代のケシクと全く同じ機構である。 北魏では孝文帝の漢化政策によって鮮卑族固有のモンゴルーテュルク系言語由来の名称は姿を消し、正史(『魏書』)にも記録が残されていないが、かえって敵国であった南朝の史書に鮮卑語由来の職名が記録されている。 『南...
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